沖を懐かしい船が通りました
まだ、こんな船がいたのです。
昭和30年代までは、このような木造の石船が、本島にもたくさんいて、
島で切り出された石を積み、水島や坂出で建設中の工業地帯へ運びました。
品質の良い御影石は、京阪神へ運ばれ、墓石や石垣に使われました。
山田洋次監督の、故郷(1972年)という映画では、同様の船が出てきます。
木材は再生可能エネルギーですから、木造船は廃船時にも廃材処理に困ることはなかったのです。
現在のFRP船は、腐らずメンテが楽ですが、小さな漁船でも廃棄コストがかさみ大変です。
日本のエネルギーが化石燃料に変わって、島でも山で薪を採ったり、こきば(讃岐の方言で落ち松葉のこと)を拾うことも無くなった結果、山は富栄養化し生態系が変わって、荒地に強い松が消え、羊歯が生えて雑木林になりました。山火事が起きた時、表面を消火しても再発火して大変だったとのことです。
どうも、人間の知恵というのは浅薄で、しっぺ返しをくらってばかりのようです。
昭和30年代までは、このような木造の石船が、本島にもたくさんいて、
島で切り出された石を積み、水島や坂出で建設中の工業地帯へ運びました。
品質の良い御影石は、京阪神へ運ばれ、墓石や石垣に使われました。
山田洋次監督の、故郷(1972年)という映画では、同様の船が出てきます。
木材は再生可能エネルギーですから、木造船は廃船時にも廃材処理に困ることはなかったのです。
現在のFRP船は、腐らずメンテが楽ですが、小さな漁船でも廃棄コストがかさみ大変です。
日本のエネルギーが化石燃料に変わって、島でも山で薪を採ったり、こきば(讃岐の方言で落ち松葉のこと)を拾うことも無くなった結果、山は富栄養化し生態系が変わって、荒地に強い松が消え、羊歯が生えて雑木林になりました。山火事が起きた時、表面を消火しても再発火して大変だったとのことです。
どうも、人間の知恵というのは浅薄で、しっぺ返しをくらってばかりのようです。
2011-11-05 15:55
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